講座報告 大人の野外プログラム
カテゴリー │5月のプログラム
講座終了 レポート2022年度
5月10日(火)《野外プログラム》
【歩いて学ぶ沖縄戦】やんばる
本部の戦跡巡りplus 参加者8名
沖縄戦から77年を数える今年、やんばる本部の沖縄戦の跡地を、地元本部町役場職員(比嘉啓一郎)様にご協力をいただき、歩いて学びました。博物館では、写真展「1945年本部―ドン・キューソン・コレクション*」が開催されており、その担当者でもあられ、丁寧に説明いただけたのは、ありがたいことでした。 *(沖縄戦終戦直後の1945(昭和20)年7月~10月頃に本部町を撮影したと考えられる写真が寄贈されました。写真は当時本部町に駐留していた米兵によって撮影され、アメリカ(アリゾナ州)在住の沖縄写真収集家ドン・キューソン氏が収集したもので、沖縄在住のラブ・オーシュリ氏の橋渡しによって寄贈されました。写真には当時の本部町の風景や人々の生活の様子が鮮明に記録されています。当時の状況を記憶する人が少なくなっている中、写真を整理するにあたって早急な情報収集が必要となります。まずは簡素な形で写真展を開催し、より多くの皆様に写真をご覧いただいて、広く情報提供を求めたいと考えています。博物館Hより)
1945年、まだ南部ではガマに隠れていたり、混乱の最中にある時期、本部の基地でランドリーガールとして軍作業されている女性や瀬底島の農作業の様子、当時クラブとよばれていた元青年修練所での子どもたちが、カメラの前とは言えにこやかに写っていたのは、不思議やらほっとする気持ちにもなりました。今日の参加者には、戦後生きるのに必死な中で育てられた方、本部出身の方もおられたり、また那覇の写真もあり、それぞれの記憶が想起されたり今のウクライナの事態におよび、話は尽きず、内容の濃い写真展でした。
常設展示もさすがにやんばる、生き物から道具まで興味を搔き立てられ、またじっくりということで、フィールドワークへ。
① 谷茶の防空監視哨跡(日本軍)
現在は、老人ホームの敷地隣接。昼の憩いの場所にと、銃弾跡や表面はセメントで補強されて残っている。 背伸びしたら、伊江島城山が見える。当時は、もっと見晴らしよい状態にあったであろうと。レーダーもない時代、住民を組みにして24時間必死の監視にあたらせていたと。
さあ、お昼は、八重岳へ移動して
センター車に比嘉さんもご一緒なので、車窓から、あのそこが八重岳山頂とか、レーダーも米軍のはあちらとか、手前の山が真部山で日本軍が潜んでいた一帯…。 現在と地名が変わっていたりもするので、字で読んでもわからない。比嘉さんの説明がとても分かりやすく、みな引き込まれていく。
日本一早い桜で有名な八重岳 今日はお店も人も??? 貸切で、この緑に包まれて、元気をもらう。うぐいす鳴く。
八重岳はなんと沖縄本島で2番目に高い(453.4m)。頂上まで約4k約7,000本以上の寒緋桜の並木が続く。世代交代を見据えて、今年も新に植樹の準備がされていた。そう、自然に生えていた桜もあるけれど、八重岳の桜は植えられ*、町で整備管理されている。新緑の頃も山が立体的になってウォーキングツアーもお勧めだそうですよ!
② 三中学徒の碑
鉄血勤皇隊、繰り上げ入隊で14歳という若さで通信隊員として、参戦させられた若者たち。この真部山や多野岳で、失われた命、夢、未来…。南部の激戦がよく語られるが、ひとりひとりの沖縄戦がある。 やんばるの戦闘をこの地で語っていただき、山全体、足元から、樹々草木が一体となり、今日何かを私たちに告げている気がした。
③清末隊慰霊之塔
この斜面に4門の山砲を据えていたと。
比嘉さんの説明を伺いながら、それぞれに何かを思い考えている。
「ここは、アカショウビンがよくいるところ」でも、今日は、大勢で来たからか静か。
④ 近くに、その観測指揮班が使用していたと思われる壕が。連立した石灰岩の割れ目を進み、壕は覗き込むように落ちていた。
こんなところに…
せっかくなので、希望者だけ中へ。
固い本部石灰岩、切った作られた壁面に
時間が止まって感じた。
「水はどうしたのだろう?・・・」
⑤清末隊陣地壕
独立混成第44旅団第2歩兵隊砲中隊、隊長が清末 一義中尉であったことから「清末隊」。この山中に70mほどにおよぶ貫通壕が掘られていたと。崩落し、現在は草木に覆われ、比嘉さんも見つけられなかったそうです。戦後、生き残った隊員の一人が、地元の方々と整備に取り組まれたようです。
埋もれさせたくない仲間の大事な生と死。
⑥八重岳 野戦病院壕へ
少し手前で車を止め、歩きました。
「ここは、コノハチョウのなわばり」
と、紹介された木の枝の先に正しく・・・
さらに、ここで、アカショウビンが(^^♪
この説明板も比嘉さんが、補修制作されたばかり。聞き取りされたなごらんの上原米子さんの水彩画が添えられ、よくわかる。
沖縄陸軍病院八重岳分院 跡
示された方をよく見ると、確かに石が積まれている。野戦病院は、茅葺屋根の小屋。
谷間は、雨が多い時期には水が流れる。重症で撤退時に置き去りにされた兵士およそ300名の枕元に…。上原さんが、つい最近まで語りついでこられた思いを聞き、登ってゆく。(証言:上原さん「歩けない患者さんの枕元には手榴弾と乾パンを配らないといけない。患者さんはもうわかっているんですね、自分達は置き去りにされると」)
中腹部分にはいくつもの掘られた壕も。
現在の私たちには、想像してもしきれないできない日々。でも、その延長線上に、確かに私たちが生かされている。
コノハチョウが舞い、アカショウビンがまた泣いた。
あの桜並木の道へもどり、もう少し上へ。
良く見える、伊江島。向かいのこの島でも、戦闘が。住民も、さらに避難民や駆り出されての戦争準備や。ここ本部と深く関わる。見やる先の海も空も島々もしみじみと映る。
比嘉さん、本当にありがとうございました。「よく学ばれていらっしゃるね。」「とても分かりやすい」と、いたるところでの参加者のつぶやき。真剣に、心開かれて聞くことができ、質問もできました。
いろいろな意味で贅沢な時空をいただいた今日。明日へ、私たちがつなげてゆく姿勢も学ばせていただいたように思います。
スナップを取り忘れていたほどに、梅雨の晴れ間の緑青い山には、清楚に輝くイジュの花。涼やかな街道の足元は白ユリが、植えられ根を張った桜樹と共に、訪れた私たちを迎え運んでくれていました。山は決して忘れない。忘れっぽい私たち、時に忘れないでは進めない私たち、今度は、桜の頃に、新緑の季にじっくりと歩かせてもらいましょう。私たちの足を止め、心が魅了されるあの美しさは、語りつくせない今昔の精魂の開花と、響いています。
*昨年度より始めた<歩いて学ぶ沖縄戦>、
地元やご案内くださる方々のご協力をいただいて、野外プログラムで取り組んでまいりたいと考えています。
野外プログラム次回予告 6月28日(火)山歩き <伊武岳>
残念ながら、定員はすでに満了しています。
6月末に、7~9月の3か月プログラムが発表されます。お楽しみに!